地味に見えて実はすごい!「トヨタ・ハイエース」 歴史をのぞき見してみよう!

 1967年に発表・発売されたトヨタ・ハイエース。世界約150か国で販売され、販売累計は624万台以上に及びます。トヨタを代表するグローバルカーです。

 発売から55年、超ロングセラーのトヨタ・ハイエースですが、モデル構成は4系列。(デリバリー)バン、ワゴン、コミューター、トラックになります。

 では、順を追って、「実はすごいハイエース」の歴史をのぞき見してみましょう。

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●年表

トラックバン
初代1967年―1977年(昭和42年―昭和52年)1967年 2月初代トラック発売
1967年10月ワンボックスボディのワゴン追加
1968年 4月デリバリーバン追加(スライドドアの採用)
1969年 2月コミューターシリーズのマイクロバス追加(2ナンバー登録)
先に発売されていたワゴンがベース
※2ナンバーとは、乗車定員11人以上の普通自動車を指し、ハイエースのうち、ビジネス用で14人乗りの「コミューター」がこれに該当する。
1971年 4月トヨタ・救急車(RH18v)発売
コミューターのロングボディがベース
1971年11月コミューターと同じホイールベースのロング版追加
シリーズ初の1ナンバー登録になる
2代目1977年―1985年(昭和52年―昭和60年)1977年 2月フルモデルチェンジして2代目発売
1979年 7月バンにディーゼルエンジン追加
1980年 1月ディーゼルエンジンを全社に拡大
1981年 1月トラックを除く全車種にエアコンがオプション設定
3代目1985年―1995年(昭和60年―平成7年)1982年―1989年(昭和57年―昭和64年)1982年12月3代目発表(発売は翌月から)
トラックは従来型を継続生産
1985年 8月トラック フルモデルチェンジ
「ダイナ」と基本ボディを共有。ワンボックス系とは完全に分離
1987年 8月ワゴン(スーパーカスタム)とバンのほぼ全グレードに4WDを設定
4代目1995年―2001年(平成7年―平成13年)1989年―2004年(昭和64年―平成16年)1989年 8月4代目発売
4WDはガソリンエンジンを廃止しディーゼルエンジンに統一
1992年 5月ハイエースベースにセルシオ用のV型8気筒エンジン搭載の高規格救急車「トヨタ・ハイメディック」登場。
1995年 5月4代目トラック 発売
5代目2004年―現在(平成16年―現在)2004年 8月3代目頃より枝分かれしつつあった、高級ワンボックス乗用車と商用車としての需要が、今回のモデルチェンジを機にワゴンのスーパーカスタム系はアルファードに統合(2002年5月発売)。
4ナンバー登録はバンのみとなる。
※4ナンバーとは以下の条件を全て満たす小型貨物自動車で、軽トラック等を指します。1つでも基準を超えると、1ナンバーになる。
・排気量:2,000cc以下(ディーゼル車は基準なし)
・全 長:4,700mm以下
・全 幅:1,700mm以下
・全 高:2,000mm以下
 バンワゴンコミューター
運搬対象貨物
※バンは運転席&助手席より後ろが「荷室」扱いとなる。後方シートの数・配置等で貨物か否か区分される。最大積載量を下げれば3・5ナンバーにカスタムする事が可能。
人(10人以下)人(14人以下) ドライバー含め
登録ナンバー貨物ナンバー
1ナンバー:普通貨物車(ハイルーフ、ワイドボディ)
4ナンバー:小型貨物車(標準ボディ)
3ナンバー2ナンバー
※普通免許NG   中型免許が必要
車検新規2年・継続1年
※改造して3ナンバーや5ナンバーになると車検は継続2年になる。
新規3年
継続2年
新規2年
継続1年
自動車重量税1ナンバー:16,400円
4ナンバー:12,300~16,400円
32,800円10人以下:18,900円/1年
11人以上:12,600円/1年

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●名前の由来と背景

 ハイエースの名前の由来を調べると、英語の「高級な」と「より優れた」と言う二つの言葉「High」「Ace」を合わせた合成語であると出てきます。

 そしてハイエースはトヨエースよりも小さい、キャブオーバー型(エンジンの上に運転席があるタイプの車)の商用車・乗用車として1964年東京オリンピックの年に開発がスタートしました。

 当時の日本は、流通形態の多様化や、交通事情の悪化もあって、トラックの需要は大型から「小型で小回りの利く車」が求められるようになっていました。併せて、乗用車のウェートが高まっていた事もあり、ダイナミックでごつごつとしたトラックより、乗用車ムードを併せ持った商用車が好まれる傾向にありました。こうした背景から、生まれたのがハイエースです。

トヨタ自動車75年史 より

 これは、初代ハイエースのニュースリリースに掲載されているものですが、「人を乗せる機能」と「荷物を運ぶ機能」の両方を併せ持った貨客兼用車として開発された事がよくわかります。「乗用車的フィーリングの向上」と「濡らさず、汚さずに快適に運べる」この記載が何より、ハイエースが生まれた原点であり、当時は直線的なデザインが多かった中にあって、ハイエースが曲面を多用したボディパネルになっている点を見ると、人を優先した商用車として設計された事が見受けられます。発売当時は、人々の目には斬新なデザインに映った事でしょう。そして見た目だけではなく、シートのクッション性を改良するなど、要所で乗用車を意識した設計になっていた事も人々を惹きつけたのではないでしょうか。

 そして、バリエーションが豊富なのも、ハイエースの特徴であり、圧倒的人気の理由です。デリバリーバン(ハイエースの中で商用車系を指す)を中心に、トラック(1トン積み)・9人乗りワゴン(ハイエースではワゴン=乗用車系)・コミューター(小型バス)と、多彩な構成になっていました。

 不動の人気を誇るハイエースですが、商用車としての需要だけではなく、今でも個人のニーズが高いのは、発売当初からのコンセプトが、ユーザーにベストマッチし定着している事を物語っています。


<初代ハイエースワゴン> トヨタ自動車75年史 参照

<現在のハイエース>   トヨタHP 参照


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●流行の先端にいたハイエース

 今では珍しくないワンボックスですが、この時期世界的にも商用車が転換期を迎えており、多くの自動車メーカーからワンボックスが発売されていました。フォルクスワーゲンのデリバリーバン、フォードのトランジット・バン、ベンツ・バン、オースチン&モーリスの250JU型バン等、これらと時を同じくしてトヨタはハイエースを発売します。他のメーカーと比べて荷室が広く、耐久性の面でも高く評価されました。世界有数の自動車メーカーと肩を並べても引けを取らない優秀さは輸出台数を伸ばすと共に、それまで小型トラックの主力車種だったトヨエースには無かったモダンなスタイルが、国内でも大人気となります。

 トヨタの中型バンはここから、ハイエースがトヨエースに代わって主力車種となり、ワンボックス市場のみならず日本のモータリゼーションをリードする車種となっていきました。

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●陰の立役者

 時は高度成長期、国内外で人気のハイエースですが、それは時代にマッチした車種である事の証でした。戦後、日本の車社会は、安価な三輪トラック(他社)から始まり、トヨエースが三輪から四輪への道を切り開き、小型トラック・ワゴン(デリバリーバン)、そして乗用車へと、主役となる車種は時代と共に推移してきました。

 また、個人(勤労世帯)や自営業者が車を保有する様になった事により、日本の自動車市場の構造が大きく変化した時期でもありました。ハイエースが発売された1967年には日本の自動車産業はアメリカに次いで世界第2位になると共に、同年日本の自動車保有台数は1000万台を突破しました。

トヨタ自動車75年史 より

 日本の高度成長期に、影となり日向となり発展を支えたのはトラックでした。下表を見ると、1950年には大型トラックは、販売の60%以上を占めている事が伺えます。

 ところが、1955年には売上げの構成比率を大きく後退させています。そして大型トラックの構成比に反比例する形で、小型トラックが大きな伸びを見せています。大型トラックの台数が減ったのではなく、他が増えた事による変化です。

小型乗用車大型トラック小型トラック合計
台数構成比台数構成比台数構成比
1950年4684.00%7,52964.30%3,71431.70%11,711
1951年1,47010.30%8,98963.20%3,76926.50%14,228
1952年1,85713.20%7,29951.70%4,95035.10%14,106
1953年3,57221.70%8,40851.00%4,51627.40%16,496
1954年4,23518.60%10,04444.20%8,43437.10%22,713
1955年7,40332.50%6,19927.20%9,18440.30%22,786
1956年12,00125.90%9,12719.70%25,28954.50%46,417
1957年19,88525.00%16,21920.40%43,42354.60%79,527

トヨタ自動車75年史より 抜粋

 乗用車の用途は、1962年頃迄は営業用・法人用が主でした。その後1967年頃迄は、乗用車はお金持ちのものであり、車が「新・三種の神器」と言われてもまだ高嶺の花でしたが、いざなぎ景気の後押しもあり、マイカーブームが到来するまでそう時間はかかりませんでした。日本における本格的なモータリゼーションの成長期となる時期ですが、モータリゼーションの発展期に大いに寄与したのがハイエースではないでしょうか。

 1964年東京オリンピック(この年にハイエースの開発がスタートする)、1965年7月の名神高速道路開通・1969年5月の東名高速道路接続等、高度成長期という時代の後押しも手伝って、多くの国民が自動車を保有するようになり、トラック主導で発展してきた自動車産業は、乗用車へと大きな転換期を迎える事になります。トヨタ・ハイエースは働く車の代表格であり、また乗用車ベースのワゴン・ライトバン全盛期の真っ只中にあって、その牽引役として、この後マイカーを象徴するカローラやコロナへと主役のバトンを渡す役割を担った存在だった様に思います。

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●ハイエース救急車になる

 1971年に救急車のベース車に採用され、「トヨタ救急自動車(RH18V)」が誕生しました。今のハイメディック救急車の元祖です。それまでは、クラウンのステーションワゴンが救急車のベースだった為、スペースに限りがありました。ハイメディック救急車は、ハイエースコミューターのロングボディがベースになっており、車体構造は変えずに内装をユニット化する事で、室内スペースを格段に広くする事が可能になりました。以後救急車両はワンボックスが主流となっています。

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●2代目ハイエース 愛称は「新幹線」

 初代が発売されてから9年4か月後の1977年(昭和52年)2月にハイエースの2代目が誕生します。開発テーマは「輸送効率の徹底的追求と人間性重視との調和」でした。機能性・居住性・安全性の向上を図ると共に、新スタイルとして5ドアのバンが登場します。この結果、ハイエースはバンが19車型、トラックが12車型、コミューターが4車型の合計35車型となりました。ハイエースの用途(需要)が多種多様である事が伺えます。


<2代目ハイエースワゴン> トヨタ自動車75年史 参照


 初代と比べてどうでしょうか?

 見た目は、まずヘッドライトが丸目4灯から丸目2灯に変更されています。他には三角窓が無くなっています。これは視界を広くする事で安全性を向上させる意図がありました。

 この丸目2灯ライトのフェイスが当時の新幹線0系に似ている事から「新幹線ハイエース」と呼ばれるようになりました。

 こちらが0系新幹線です。

そして丸目2灯のフェイスだけでは無く、一部のモデルに採用されていた転換シート(スイングウェイ対面シート)やシートの配色等の特徴からも「新幹線ハイエース」と呼ばれていました。

 当時、対面シートは日産・キャラバン等でも採用されていましたが、こちらは回転させるタイプでした。ハイエースは新幹線方式と呼ばれる背もたれのみを移動させるタイプである点も新幹線ハイエースと呼ばれる一因だったと思われます。


<0系新幹線の内装> 交通科学博物館「0系新幹線の車両内部を公開」 参照

<2代目ハイエースの内装> トヨタ自動車75年史 参照


 新幹線ハイエースの特徴の一つだった丸目は、その後1980年のマイナーチェンジで角目2灯に変更になりました。外見だけではなく、上記からもわかる通り、この頃から内装の充実が格段に進展します。輸送効率を追求した貨物としてのハイエースと、オーナーカーとしてのハイグレードワゴンとしてのハイエース!ハイエースはそれぞれの道を歩みはじめました。

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●3代目ハイエース、別々の道へ

 3代目ハイエースは、1982年12月に発表され、翌月から販売が開始されました。3代目ハイエースが発売された1980年代は日本のモータリゼーションも成熟後を迎え、社会も安定成長期と呼ばれる時代でした。1980年12月には自動車生産台数世界一となり、輝かしい記録を樹立しました。そんな日本車の黄金期と言える1980年代に誕生したのが3代目ハイエースです。

 80年代前半は、セリカ(トヨタ)やプレリュード(ホンダ)と言ったデートカーが主流でしたが、そんな中にあってジワジワとアウトドアが進出してきます。ルーフキャリアでサーフボードを積んだ赤いファミリア(マツダ)は陸(おか)サーファーという言葉を生む程の社会現象を起こします。映画「私をスキーに連れてって」の中では「所詮4駆の敵じゃないよね!」というセリフが「スキーに行くなら(雪道には)4WD」と言う考えを定説化させます。

 そしてこの頃、パジェロ(三菱)が大ヒットします!世界一過酷なラリーとして知られる「パリ・ダカールラリー」で市販車無改造クラス」に初参戦で初優勝と言う快挙を成し遂げ、1985年には初の総合優勝した事もあり、RV車(4WD機構)ブームの誘因となりました。

 そんな中、3代目ハイエースもハイグレードワゴンとして、商用車としてのハイエース(バン)とはセグメント化する形で、別の道を歩きはじめます。

 バブル期と重なっていた事もあり他メーカーと競争する様に高級志向が取り入れられていきました。屋根にはサンルーフ(サン&ムーンルーフ)が採用され、オールフラットシートで車中泊が可能(楽)になりました。乗り心地と内装の高級感も加わり、愛らしかった丸目ヘッドライトはキリっとした角目4つにモデルチェンジ、ボディには新たにメタリックツートンカラーが採用される等、3代目ハイエースは高級ワンボックスカーにふさわしい堂々とした風格に変っていきました。その姿は「アルファード」のルーツとなるにふさわしい姿と言えます。

 また、バンに於いても荷物の量に応じてシートを可動させる事が出来る他、スライドドアやバックドアを拡大して荷物を出し入れする事が可能になる等、開発コンセプト通り「ワゴンはワゴンらしく、バンはバンらしく荷役性に優れ、扱いやすく、経済的でよく走る車」に仕上がっていきました。  1987年のマイナーチェンジの際には、ワゴン車のほぼ全グレードに4WDが採用されRV車としてのカラーが前面に出ると共に、バンとの差別化がより一層色濃くなっていきました。

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●4代目 KING of WAGON (キング オブ ワゴン)

 1989年、昭和から平成へ変わった年に4代目ハイエースは誕生しました。好景気に沸いた1980年代の終盤、より高級により快適に、まるで豊かさの旗印役になるように高級ワンボックス車として4代目ハイエースは誕生しました。カタログにはこんな風に書かれていました。「トヨタの、もうひとつの最高級車。」もうひとつの最高級車…。ハイエースは一体どんな車種に肩を並べていると言うのでしょう?

トヨタ自動車75年史 より

 トヨタを代表する車であり、キングオブセダンと言っても過言では無い車。常に最新のパワートレインや技術が搭載され、トヨタの象徴として長年にわたり君臨してきた車、それはクラウンです。4代目ハイエースはそんなトヨタを代表するクラウンと肩を並べても引けを取らない車として、エグゼクティブと言う言葉を4代目ハイエースに羽織らせたのです。

 新開発されたエンジンが搭載される等動力性能のアップはもちろんの事、内外装はユーザー期待の高級志向に応えるべく徹底して見直されました。ワインレッドの内装や、湯沸かしポット&アイスメーカー付き冷温蔵庫やジョイフルトークシステム(運転席と後部座席とで会話が自然に行える世界初の新機構)等は「ワンボックスのクラウン」の名に相応しい装いでした。

トヨタ自動車75年史 より

 何度かのマイナーチェンジを繰り返し、「ハイソカー」として絶対の存在感で、結果的には15年という長きに亘って愛され続けました。頂点を極めたハイエースワゴンですが、時代は少しずつ「ミニバン」へと変遷していきます。数種類の車種が派生~統合をし、最終的には2002年にアルファードが誕生した事で、ハイエースワゴンはトヨタの高級ワンボックスカーのフラッグシップとしての役目を終えます。

 高級ワンボックスとして進化し続けた4代目ハイエースワゴンの陰になってしまった感の有るバンですが、バッテリーの搭載位置を変える事で更に荷室の拡充を図ると共に、積載性や荷役性の向上を実現させました。また、ワゴン車同様ワンタッチ2⇔4セレクター(2WD↔4WDの切り替えがワンタッチで可能になる新機構)が採用され、プロユースの働く車として進化したバンですが、ここからレジアスエースバンが派生する事になります。

 そして忘れてはならないのが、4代目ハイエース・バン(スーパーロング・ハイルーフ)から「トヨタ・ハイメディック」が誕生している事です。1991年8月に施行された「救急救命士法」に基づき、救急救命士が医療行為を行うには従来以上の救急車が必要でした。そこで誕生したのが国産初となる高規格救急車「ハイ・メディック」でした。車名の由来は、ハイエースとパラメディック(救急医療隊員)を組み合わせた合成語で、ハイエースには未設定だった、セルシオ用のV8気筒エンジン(1UZ-FE型3968cc)を搭載していました。静粛性に優れ、振動が少ないV8気筒エンジンを救急車両専用でセッティングし、ハイパワーなベース車両を完成させました。トヨタの本気度が伺えます。

V8エンジンを積んだセルシオのボンネットの上にはシャンパングラスが!エンジンを始動させても1滴もこぼれない様子からV8エンジンの低振動ぶりがうかがえるCMです。↓

初代セルシオ(アメリカ名:レクサスLS)CM

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●5代目ハイエース 原点回帰

 2004年から現在まで親しまれている5代目ハイエースは、今年で19年目を迎えます。4代目ハイエースの15年を上回るロングセラーです。高級ワンボックスの地位をアルファードに譲り、5代目ハイエースの次なるフィールドは「原点回帰」でした。少しシンプルな顔つきになった様に感じますが、とは言え、豊富なラインナップは幅広いユーザーから支持され、変わらず愛され続けています。乗用車とは比べ物にならない荷室の広さは、アウトドア派の人達には欠かせないバディであり、「自分スタイル・自分らしさ」を尊重する現代人には、ハイエースはマッチした車なのかも知れません。

トヨタ自動車HP より


 商用車としてのハイエースは、初代から「人を乗せる機能」と「荷物を運ぶ機能」が常に一緒に追求され、荷室の広さや作業効率等の機能面がデザインと共に改良されてきました。1トンキャブバンクラス最大級の荷室を誇る大型商用車としての5代目ハイエースですが、安全性能を追求する事で、人も荷物も守る車に生まれ変わりました。商用車である以上、積載量は最も重要な要素になります。5代目ハイエースでは、9度のマイナーチェンジを繰り返し、積載量(荷室の広さ)を変える事無く、ボディ設計を見直す事で、高い衝突安全性能も保持しました。他にも衝突軽減ブレーキや歩行者&自転車検知機能等、重大な事故が発生しやすいシーンを予防する為の様々な機能が搭載されています。

トヨタ自動車75年史 より

 進化したのは安全性能だけではありません。ディーゼル車から排出される粒子状物質(PM)に発ガン性等の健康被害が懸念される事から、2001年6月に「自動車NOx・PM法」が成立しました。2004年に発売された5代目ハイエースが適合をクリアしたのはもちろんの事、その後2010年8月のマイナーチェンジの際にはクリーンディーゼルエンジンを搭載しポスト新長期排出ガス規制に対応しました。2年後の2012年にはディーゼルエンジン車に排出ガス浄化するリッチ(触媒浄化用)を標準装備する等、クリーンな排気を実現し続けています。

環境省HP より

トヨタ自動車HP より


ハイエースワゴンの構造変更でお困り・お悩みのある方はこちらまで

↓↓↓

http://www.toushinjidousha.com/?p=1905

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●まとめ

 ハイエースのカタログにはこんな一文があります。「広さにも、走りにも、機能にも、そして安全にも、すべてに妥協することなく。」と。

ハイエース カタログ より

 50年の長きに渡って、高度成長期の日本を支え、その後も時代と共に走ってきたハイエースは、高級ワンボックスとしての姿より、もしかしたら陰の立役者としての姿の方が馴染み深いかも知れません。皆さんの生活の中で、ハイエースは様々な仮面を被って走っています。救急車もそうでした。もしかしたら幼稚園の送迎バスも、もしかしたら宅急便の車、もしかしたらコミュニティバス、もしかしたら…。

 ハイエースは目まぐるしく変化する時代の中にあって、いつでもユーザーの要望に応え続けてきました。それが、変わる事のない人気の理由ではないでしょうか。すべてに妥協する事無く50年間走り続けてきたハイエースは一見地味な様に見えて、実はマルチプレーヤーであり、そのポテンシャルは真の実力者に相応しい車と言えるのではないでしょうか。

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(補足)初代ハイエース (1967年ー1977年)

1967年ってこんな年
・日本初の自動改札機が登場 (それも大阪・北千里)
・天才バカボン、明日のジョーの連載がスタート
・東京キー局,カラーテレビ放送開始
・ラジオ番組「オールナイトニッポン」の放送開始
・タカラがリカちゃん人形を発売
・ドラマ、特撮で「コメットさん」「仮面の忍者赤影」等がヒット 
・スポーツ 高見山外国人初の関取になる
・グループサウンズブーム ヒット曲第1位は「ブルー・シャトー」

 初代ハイエース (1967年ー1977年) 

トラック・ピックアップ
1967年2月発売

  • 計器盤は黒のレザー張り
  • 最初は丸目4灯

輸送革命、配送革命に対応する1トン積みトラックに「人間本位」の考えをプラス。
それでいてキャビンとデッキの広さを同時に確保。


豪華さと実用性の両立

新しい時代の新しいトラック
フレーム付きコンストラクション方式は軽くて、強度抜群!
1トンの荷物を満載にして悪路を走っても👍
低い車両重心や長いホイールベースは、乗用車の様な乗り心地を実現。
積み荷は抜群の安定性。

日本初の小型
ワンボックス車

ハイエースの基本は
デリバリーバン
ハイエースは商業車の基本をトラックからバンに変えた!
1967年10月 ワンボックスボディのワゴン 追加
1968年  4月 デリバリーバン追加
1969年  2月 コミューターシリーズのマイクロバス追加
       先に発売されていたワゴンがベース

全天候型のクローズドボディは雨もホコリも大丈夫!

  • ワゴン(9人乗り)
  • バン(3人・6人乗り)
  • コミューター(12人・15人乗り)

ユニットコンストラクション方式の採用は、広い荷室を実現


コミューターのロングボディをベースにトヨタ救急車発売

ベース車種がクラウンからハイエースに代わり、室内スペースが格段にUP!これ以降救急車はワンボックスが主流になる。


・1976年ー1979年まで放送されたテレビドラマ「大都会」の劇中で使用されていました。

・撮影用の救急車は実際の救急車とは違って、ショートボディ

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(補足)2代目ハイエース(1977年ー1985年)

1977年  2月 全モデル フルモデルチェンジ

フルモデルチェンジ直後は
個人使用よりは
まだ商用が多数

ウィンドを大きく、フロントの傾斜を強くして、空力特性を生かした丸いフォルム

荷室は一回り大きくました!

「新幹線ハイエース」と呼ばれるきっかけになった「丸目(2灯)」と「シート」

サイドのドアもウィンドも大きくなり、視界が開けると共に、荷物の出し入れが楽に!


  • 吊り下げクーラーからエアコンがオプション設定される。
  • トラックは1985年のモデルチェンジまで吊り下げ式エアコン。

マーケットの変化
1980年12月のマイナーチェンジの際に、フロントマスクにワゴンとバンとで違うデザインを採用。豪華仕様のワゴン車のはじまりであり、商用バンとのセグメント化のはじまり。
高級ワゴン車への推進の裏には、日産・キャラバン/ホーミーの存在がある。
1980年8月高級ワゴンにシフトする形でフルモデルチェンジしたキャラバン/ホーミーは人気を博しハイエースを超えてシェア1位を獲得した事もある。

オイルショックの影響により、1979年7月にディーゼルエンジンをはじめて搭載する。
1980年1月には全車にディーゼルエンジンを拡大採用。
他の車種に比べて丈夫なハイエース!ディーぜルエンジンはガソリンエンジンに比べて耐久性や効率が高い。
100万キロ走破も可能と言われています。

バリエーション豊かなラインナップ
シングルキャブ
ダブルキャブ
オープンバン
パネルバン
冷凍車
アルミバン
保冷車
ラットクリフ
パワーリフト

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(補足)3代目ハイエースバン(1982年-1989年)

1982年 12月  3代目バン発表(翌月発売)

1985年     8月  3代目トラック発売

バン・コミューター・
ワゴンがモデルチェンジ
トラックは2代目を継続生産

外観は直線基調に変わり、シンプルだった内装は豪華に!

内装はマイナーチェンジする毎により豪華になって大きくイメージチェンジする!

・オールフラットシート

ワゴンは高級RVへ

サン&ムーンルーフ登場

愛らしかった丸目は角目へ

その後、マイナーチェンジで、ワゴンのカスタム、スーパーカスタムリミテッドのヘッドライトが異形型(車種別で設定)になる

卓越した乗り心地と静粛性

8年ぶりにフルモデルチェンジ!
外観・スタイル・エンジン・足廻りから室内・リヤデッキに至るまで一新!


50周年の年に生まれた3代目トラック
トヨタ自動車がトラックを製造販売する様になって、50年目の節目の年に当たる1985年に誕生したのが、3代目トラック。タイミング的には、ワゴン・バンのマイナーチェンジの時期と同じです。
デザインはハイエースらしさを残すものの、ダイナの基本デザインを採用。同時にトヨエースもダイナベースになり、この3台は兄弟車となった。名前は「ハイエース」だがバン・ワゴンとは別系統になっていく。

スーパーシングルジャストローの採用

従来後輪はダブルタイヤだったが、小径扁平ラジアルタイヤを採用し、シングルタイヤとした。
低い床面地上高を実現

Fun to Drive


3代目ハイエースは日本では1989年までですが、南アフリカでは2007年まで生産されました。

現地では「クォンタム(Quantum)」と呼ばれVery Popularな存在。名前の由来はラテン語で「画期的」「飛躍的」を意味します。

商用車(バンタイプ)のシェア90%を占めており、多くは乗合タクシーで使用されています。南ア国民の足として親しまれ、タクシー産業に60万人の雇用を生み出しました。

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(補足)4代目ハイエースバン(1989年-2004年)

1989年  8月   4代目バン発売

1995年    5月   4代目トラック発売

高級ワンボックスRV車への需要と期待に応えるべく、外装・内装・装備のすべてが豪華にグレードアップ!高級ワンボックスRVとしての地位を不動のものにする。
一方、バン(商用車)は使いやすさを追求して改良を重ねる。

15年もの長きに渡って生産されたロングセラー車

高級ワンボックスの頂点へ

トヨタの、もうひとつの最高級車  - King of Wagon -
4代目ハイエースワゴンは、高級ワンボックスRVとしての地位を堅固なものにした。
そしてホンダ・オデッセイの登場で、時代は少しずつミニバンへとシフトしていく。キャブオーバーが基本のワンボックスに対して客室の前に「箱(エンジンルーム)」があるタイプのミニバンは、ドライバーや他乗員の快適性を向上した車として、市場に受け入れられる。
市場の変化に追随する形で、グランビアが誕生する。セミキャブオーバーという車体設計は、静粛性が改善され、操縦安定性も向上したが、グランビアは、ワンボックスからミニバンへシフトしていく繋ぎ役としての色合いが濃い存在だった。

1995年に誕生したグランビア、派生モデルであるレジアスエース、ツーリングハイエース、グランドハイエースの4モデルを統合する形で2002年アルファードが誕生する。以後トヨタの最上級ミニバンとしてのフラッグシップモデルとして進化していくことになる。アルファードの登場により、ワゴンのガソリン車は生産終了。
▶ ジョイフルトークシステム
▶ 湯沸かしポット・アイスメーカー付き冷温蔵庫

人々の暮らしの中に

4WD


4WDシリーズがラインナップ!

ボタン一つで4WD↔2WDの切替が出来る「ワンタッチ2⇔4セレクター」や駆動状態が確認できる4WDインジケーターを装着。

快適な走りの為にオールシーズンタイヤ採用。

フロントグリル以外は、ダイナ・トヨエースと共通になる。

トヨタ・ハイメディック登場!
ハイエースバン スーパーロング・ハイルーフがベース

1991年8月に施行された「救急救命士法」に基づき、翌年8月に誕生!
次世代救急車「トヨタ高規格救急車ハイメディック」現在も国内トップシェア!地域特性にも応える多品種少量生産体制が確立されている。

1991年 第29回東京モーターショーに参考出品した

通常は左のみだが、救急車は右側にもスライドドアが付いている

宅配物流や、短距離・軽量貨物輸送が増加。

1980年代、生活の多様化等により

物流を取り巻く環境は大きな変化を迎える。

代表的な例は、大和運輸による宅急便事業サービスのスタート。1980年代に入るとこの事業に多くのトラック路線事業者が参入した。その結果1982年の宅急便の取扱個数は1億7千個を超え、郵便小包の1億3千個を上回る。

消費者のニーズに応える為に進展した物流の事を「消費者物流」と呼ぶようになる。

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(補足)5代目ハイエース(2004年~現在)

ハイエースの歴史上最も長く愛されているモデル

商用車初!

2004年  8月   5代目バン発売 現行モデル

平成17年基準排出ガス50%低減レベル達成!
環境性能の向上
ディーゼル車はインタークーラー付ターボエンジンを新たに搭載。「自動車NOx・PM法(ディーゼル規制)」クリア。ハイエース100系迄は指定地域では登録NG。場所によっては通過もNG。
▶ ボディ長は、ロングとスーパーロング
▶ ボディ幅は、標準とワイド
▶ ルーフ形状は、標準、ミドル、ハイ

原点回帰


5代目ハイエースはトラックを除く3車種へ

ワゴンのスーパーカスタム系が、アルファードに統合された事で、豪華な装備はミニバンへとシフトし、5代目ハイエースは商用車として原点回帰を思わせる装備となる。1トンキャブバンクラス最大級の荷室を誇る大型商用車として、原点に立つも、時代を映し出し、安全性能等が充実している。                 

原点回帰とは言え、豊富な選択肢は、貨物・人員輸送に限らず、趣味の車として自分好みにカスタム出来る事もあり、ユーザーからは変わらず愛され続けている。

2018年発売50周年を迎える

スーパーGL“50TH ANNIVERSARY LIMITED”

50周年記念のバックドアエンブレムとエンブレム付スマートキー

プライベートでも人気の訳  - Black&Mahogany -
商用車に原点回帰したはずのハイエースですが、スーパーGL特別仕様「ダークプライムⅡ」が人気です!黒と木目を基調としたインテリアは車内での居心地を変え、心をくすぐられます。

4.5型と呼ばれるハイエース
先進の安全性能

200系と呼ばれる5代目ハイエースには、何度かのマイナーチェンジを繰り返し、それらのモデルは4.5型と呼ばれています。

2017年11月 安全機能追加(Toyota Safety Sense)の搭載

2020年  5月 オプション機能追加(デジタルインナーミラーやパノラミックビューモニターの追加やアクセル踏み間違い時の衝突被害を軽減するインテリジェントクリアランスソナーの採用等Toyota Safety Senseの拡充。

2021年  8月 マニュアル車の廃止など。

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